やまびこブログ~風の谷の徒然なる日々~

 法人の活動報告やイベント告知を中心に、スタッフが日々感じたことや自閉症の方の魅力、福祉の仕事の楽しさについて発信しています。

2018年08月

 先日、別の事業所の方と話をする機会がありました。その中で私たちが普段、利用者さんの行動を分析、理解するためにとっている技法は、行動の理解だけでなく、支援者の考え方の幅を拡げることに役立つとの話が出ました。

 ある一連の活動を利用者さんに分かりやすく伝えようとする時、または、利用者さんの行動の理由を探ろうとする時などに課題分析という方法を取ることがあります。
 例えば、封筒に書類を入れて封をする仕事の場合、①必要な書類を必要な枚数手に取る、②書類を揃える、③規定の折り方をする、④封筒を一枚手に取る、⑤封筒の口を開ける、⑥書類を決まった向きで入れる、⑦封をする、⑧規定の数を終えるまで続ける、といった具合です。

 作業をやりやすく提示するためには、どの行程でつまづきがあるのか確認する必要がありますが、こういったことを続けていると何気ない日常の動作でも様々な行動が組み合わさっている事が分かります。ただ“封入の仕事”と言えばそれだけですが、様々な要素=視点を持つ訓練になるということです。

 それは何らかの作業行動に限らず、会議の進め方や得意先のアポ取り、受験勉強の学習計画にも役立つ方法ではないかと思います。
 人の行動を見つめ、科学的に捉え直す作業が対人支援と言えるかもしれません。N
 

 学生の頃、ボランティアサークルに参加している時にこういったパンフレットのようなものを作って配布したことがありました。
 20年以上前ですが、皆さんが気にされる場面と行動は今も変わらないのだと思います。そこが理解のポイントと言えるのでしょうね。N
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https://otonanswer.jp/post/22176/

 大河ドラマ「西郷どん」が人気です。この作品の時代考証をしている原口さんの記事を読みました。
原口さんは鹿児島県立図書館の館長もされています。ドラマはフィクションの部分が多分にありますので、時代考証といっても、その正確さを検証するばかりではないようです。

 原口さんが創作の目的としているのは、子どもたちが"こんな人物になりたい"と憧れをもち、そこから友を大切にする心や正義感、信念といった人の生き方において大切なものを感じ取ってほしい、という思いだそうです。
 『せごどん』と身近な愛称で呼ばれる歴史上の人物は珍しく、それは西郷が庶民の立場を貫いたからではないかと言われています。

 維新回天の立役者の一角となった薩摩藩には地区ごとの教室があり、そこで幼少期から、何をするにも心の持ちようが大切、人から辛い目にあわされても相手に恨みを返しては争いが絶えなくなってしまう、等が歌の形で学ばれていたそうです。

 自分一人がやったって・・・との無気力、無関心が蔓延している現代に、"できるか、できないか"ではなく、”やるべきか、やらぬべきか”を判断基準に置いた人の具体的な生き方は、子どもにも大人にも伝わるメッセージがあるのではないかと思います。N

 「施設が社会の補完的役割を果たす砦であり、同時にその自覚をもって実践的な努力を行うことで新しい社会をうみ出す」
 日本社会福祉の父と呼ばれる糸賀一雄氏の言葉です。
 脱施設が叫ばれて久しく、私たちのイメージも施設内で行う活動が従、地域に出る、外での活動が主、との感覚がなきしもあらずです。
 しかし、施設そのものの存在にも大きな意味があり、今の社会では暮らしにくさを抱える方の居場所になるということと、そこから望む形の暮らしをつくっていくベースキャンプの意味があり、その実践は地域社会の理解と暮らしやすさにつながる、ということだと思います。
 第1、第2やまびこ工房もナウシカも短期入所やガイドヘルプも社会に理解を広げる砦の役割を果たせるよう、利用者さんとの地域生活をつくっていきたいと思います。N

 手話に関するものを読む機会がありました。各国、地域によって様々な形があるそうですが、その中で日本の手話は表現力に富んでいるそうです。
 手話通訳を行っている方によると、手の動きで伝えられるのは半分以下と。
 残りは眉の上げ下げ、目の細め方、口の形、首の角度等、全てを組み合わせて会話が成り立っているそうです。
 しかし、本来コミュニケーションとは、そういうもので手の動きのみに着目することは、声によるコミュニケーションのみに限定することになります。
 私たちも普段から表情や口調など様々な情報源から意図をやり取りしています。
 手の動き=音声と考えると、自閉症の方の場合はコミュニケーションが苦手というよりも音声によるやり取りが苦手、という理解が正しいのだと思いまます。
 こういった形で私たちの常識というか、慣れたやり方に相手を当てはめようとする考え方がコミュニケーションを狭めてしまうのではないかと思いました。N

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