2019年01月
枠で見ること〜認識なくして評価なし〜
ある雑誌記事を読んで、自分の姿勢を反省することがありました。
幸福度世界一と紹介され、話題になったブータンのレポートです。障がい者にとってはどうなのだろう?という取材記事でした。
そこで語られていたことは幸福度1位のイメージとはかけ離れたものでした。ブータンには障がいをもって生まれた時点で出家以外の選択肢はなく、更に自力で座ることができない等の理由で寺院からも断られてしまい、一切の選択肢を失う人もいるということでした。
この記事で感じたことは、物事を一面で捉えてはいけないということと、大雑把な枠ではリアルな情報は得られないということです。
世界一幸せな国と言われる理由はいくつもあって、実際にそう感じさせる状況も紹介されていましたが、その陰に様々な状況の人がいるということは忘れてはいけないし、特に私のような立場の者はすぐに想像力を働かせるセンスを持っておきたいということ。
そして、国とか地域とか部族とか集合名詞で物事を考えるとリアルは見えないということです。そこには個々に違った状況の人間がいて、それぞれの日々の暮らしがあるということを意識していないと、その瞬間にイメージ先行の判断が生まれ、事実と乖離した評価が生じることになるということです。
常に一人の人にスポットを当てながら、その人にしかない暮らしや状況、可能性や希望があることを確認していきたいと思いました。N
幸福度世界一と紹介され、話題になったブータンのレポートです。障がい者にとってはどうなのだろう?という取材記事でした。
そこで語られていたことは幸福度1位のイメージとはかけ離れたものでした。ブータンには障がいをもって生まれた時点で出家以外の選択肢はなく、更に自力で座ることができない等の理由で寺院からも断られてしまい、一切の選択肢を失う人もいるということでした。
この記事で感じたことは、物事を一面で捉えてはいけないということと、大雑把な枠ではリアルな情報は得られないということです。
世界一幸せな国と言われる理由はいくつもあって、実際にそう感じさせる状況も紹介されていましたが、その陰に様々な状況の人がいるということは忘れてはいけないし、特に私のような立場の者はすぐに想像力を働かせるセンスを持っておきたいということ。
そして、国とか地域とか部族とか集合名詞で物事を考えるとリアルは見えないということです。そこには個々に違った状況の人間がいて、それぞれの日々の暮らしがあるということを意識していないと、その瞬間にイメージ先行の判断が生まれ、事実と乖離した評価が生じることになるということです。
常に一人の人にスポットを当てながら、その人にしかない暮らしや状況、可能性や希望があることを確認していきたいと思いました。N
生命の始まりについての議論
新聞記事からです。
人の命はいつ始まるのか、とのテーマで書かれたものでしたが、その歴史を辿ると人はとてつもない技術を手に入れていることを感じます。
人はいつ生まれるか?は赤ちゃんが産まれた時でした。それはまだ人の体の中まで人の手が届かなかった時代の話で'70年代に体外受精が実用化されると考え方が一気に複雑になってきました。
体外受精の技術は不妊治療だけでなく再生医療の研究に役立てられることとなり、ついにクローンの双子が誕生というニュースはまだ記憶に新しいかと思います。
体外受精の場合、男性と女性の細胞を取り出し皿の上で受精させてから女性の体に戻すという方法をとります。同時に受精させたものを冷凍保存し、研究や治療に役立てようという方法もとられています。
そこで議論になっているのが受精し、胚の状態になった細胞は分裂を始め、やがて人の形になっていきますが、この自ら分裂を始める時はヒトなのかモノなのかというものです。
"14日ルール"が'80年代に作られました。胚が14日経つと全身の構造ができ始めるそうです。そこからをヒトと見なす考え方です。したがって14日経つ前にその細胞を壊し、中の胚性幹細胞を取り出し、再生医療の研究に役立てられます。24日経つ前はモノとして扱うという考え方になります。
それが受精の瞬間から人間だ、とする考えの人とその構造になってからだ、とする考えの人とで論争になっています。
ただし、議論が分かれていることから明白な通り、14日という基準は研究を可能にするための妥協可能であろう時期を14日と定めたということであって、そのに科学的、客観的根拠があるわけではありません。
医療発展のためという目的が崩れた瞬間にその倫理性は失われます。しかし、再生医療が人の役に立つことであるのは間違いありません。
皆さんはどう考えられるでしょうか?N
人の命はいつ始まるのか、とのテーマで書かれたものでしたが、その歴史を辿ると人はとてつもない技術を手に入れていることを感じます。
人はいつ生まれるか?は赤ちゃんが産まれた時でした。それはまだ人の体の中まで人の手が届かなかった時代の話で'70年代に体外受精が実用化されると考え方が一気に複雑になってきました。
体外受精の技術は不妊治療だけでなく再生医療の研究に役立てられることとなり、ついにクローンの双子が誕生というニュースはまだ記憶に新しいかと思います。
体外受精の場合、男性と女性の細胞を取り出し皿の上で受精させてから女性の体に戻すという方法をとります。同時に受精させたものを冷凍保存し、研究や治療に役立てようという方法もとられています。
そこで議論になっているのが受精し、胚の状態になった細胞は分裂を始め、やがて人の形になっていきますが、この自ら分裂を始める時はヒトなのかモノなのかというものです。
"14日ルール"が'80年代に作られました。胚が14日経つと全身の構造ができ始めるそうです。そこからをヒトと見なす考え方です。したがって14日経つ前にその細胞を壊し、中の胚性幹細胞を取り出し、再生医療の研究に役立てられます。24日経つ前はモノとして扱うという考え方になります。
それが受精の瞬間から人間だ、とする考えの人とその構造になってからだ、とする考えの人とで論争になっています。
ただし、議論が分かれていることから明白な通り、14日という基準は研究を可能にするための妥協可能であろう時期を14日と定めたということであって、そのに科学的、客観的根拠があるわけではありません。
医療発展のためという目的が崩れた瞬間にその倫理性は失われます。しかし、再生医療が人の役に立つことであるのは間違いありません。
皆さんはどう考えられるでしょうか?N
書くこと、伝えること
以前、同僚にブログはその時に考えていたこと、取り組んでいたことを綴れば良い、と言われ合点がいったことがありました。
先日、文芸評論家の重里徹也さんの記事を読み、自分の"書く"という作業を考えるきっかけになりましたので紹介させていただきます。
重里さんは、文章を書く時に心がけていることとして、『最も恥じるべきは独りよがりの文章』と言われ、自意識は底なし沼のようなもので、足を取られると自滅します、と。
また、他者に伝わる文章を書くことは自分を見つめ直し、それを表現することになり、人生に豊かさと幸せをもたらします、とのこと。
自分の本来の思い、考えに光を当て、それを伝えることで相手の立場や気持ちを考えながら文章としての言葉を選んでいく作業になる、ということでした。
そして、自己肯定感が持てない若者が多いと言われる世の中にあって、文章で表現することは自己を一歩離れた視点で見つめ直し、認識を整理することが肯定感に繋がる、とも。
私も拙い文章を綴りつつも、読んでくださる皆さんを想像しながら良い文章にしていきたいと思います。そのためにも読書の継続は大事ですね。N
先日、文芸評論家の重里徹也さんの記事を読み、自分の"書く"という作業を考えるきっかけになりましたので紹介させていただきます。
重里さんは、文章を書く時に心がけていることとして、『最も恥じるべきは独りよがりの文章』と言われ、自意識は底なし沼のようなもので、足を取られると自滅します、と。
また、他者に伝わる文章を書くことは自分を見つめ直し、それを表現することになり、人生に豊かさと幸せをもたらします、とのこと。
自分の本来の思い、考えに光を当て、それを伝えることで相手の立場や気持ちを考えながら文章としての言葉を選んでいく作業になる、ということでした。
そして、自己肯定感が持てない若者が多いと言われる世の中にあって、文章で表現することは自己を一歩離れた視点で見つめ直し、認識を整理することが肯定感に繋がる、とも。
私も拙い文章を綴りつつも、読んでくださる皆さんを想像しながら良い文章にしていきたいと思います。そのためにも読書の継続は大事ですね。N